日本の養蚕業は余り知られることなく、今その幕を閉じようとしています。
昭和37年の生糸自由化以降、養蚕農家は劇的にその数を減らしてきました。
2008年現在、養蚕農家1020戸、生産量380トン、国産繭は絹製品の1パーセントにも満たない状態です。(2013年 養蚕農家486戸、生産量168トン)
養蚕業、製糸業の歴史は深く、明治政府の揚げた「殖産興業」の一翼を担ったのが富岡製糸場だった事からも分かるように、近代日本の礎を築いたのが製糸業でした。また戦後も復興の軸となるほど、養蚕・製糸業の技術は高く、優良な繭や糸を作ることができました。今もその技術は世界的に認められ、日本独自の優秀な蚕品種を持ち、遺伝資源を持っています。また飼育技術も高く発展途上国の技術指導の望まれるほどです。
養蚕・製糸業が残っている群馬県では、県をあげてこの問題に取り組んでいます。すでに産地提携システムとして動き始めているプロジェクトもあり、県・農協・呉服店との協力体制ができています。
宮城県では丸森には養蚕農家としては最年少の30代の若者がいます。また繭から糸をつくり織るまでの一連の技術が残っています。それは上州座繰りとは道具も違う、奥州座繰りです。そうした各地に残る技術も養蚕・製糸業とともに失われてしまうのでしょう。私たちにできることは何かないのでしょうか・・・