なぜ森から布を作るのか

2019.08.28

はや30年、私の染織は奄美大島で大島紬の織を習うところから始まりました。奄美の工房で働きながら草木染も習い、その後郷里の宮城県に帰り結工房という小さな工房を作り、細々と染織を続けました。幸運なことに、宮城県には養蚕をしている地域があり、絹の糸作りを習うことができました。そこから深く地中にもぐりこむように、私は糸作りにはまりこみました。

そうして作った糸を使って作品を作る一方で、日本の養蚕が途絶えようとしていることに危惧を覚え、「繭から始めるWS」という織る人と養蚕をつなげ、糸つくりの技術を教える活動を行なってきました。

そして、数年前に岩手の野良着に出会いました。もう着ることは無いけれど、母や叔母、祖母の手で織られたものだからと、捨てきれずに持ち寄られた衣たちでした。昭和の初期に織られたもので、藍の色も美しく、織り目の整った端正な作りで、その高度な技術力に目を瞠りました。

東京農大博物館の「女わざと自然とのかかわり―農を支えた東北の布たち」という企画で展示されたものなのですが、その展示に係わり野良着について調べていくうちに、私たちがいかにして、衣服を獲得してきたか、その深い歴史と払われてきた多くの労力を知るに至りました。また東北という土地柄に縄文的な自然との係わり方が深く根付いており、今もまだその知恵や技術の片鱗が随所に残っていることにも気づかされました。
現代の私たちは、服は買うものだと思っていますが、既製服が一般的になったのはこの60年ほどのことです。都会と田舎での事情は大分違うかと思いますが、60歳になる私の子どものころは、布を買って近所の人に縫ってもらっていました。まだ既製服は高くて質も悪かったので、ほとんどの家庭で、服は母親が縫っていたと思います。既製服の歴史はそれほどに浅いのです。
縄文時代から既製服が一般化するまで、数千年にわたる長い間、多くの人びとにとって衣服は作るものでした。その素材はほとんどの場合植物繊維であり、大麻や青苧、身の回りに自生するイラクサ、シナの木の繊維などでした。

岩手県では家の近くの土壌の良い畑に麻を植え、夏に刈り取り、繊維にしておき、秋から冬にかけて夜なべをして糸を績み、春には家族分の布を織り上げました。そうした仕事を、女性たちは、野良仕事を一人前にこなし、家事と育児をした上に行なってきました。その労働量の多さには感服する他ありませんが、布に係わる仕事は、苦しい生活を忘れて夢中になれる時間でもあったそうで、家族の衣服の管理は誇りを持って執り行われていました。田植えは、1年をかけて作り上げた新しい衣のお披露目の日でもありました。

職人や作家でもない普通の人びとが、身の回りにあるものから布を作っていました。作れることが当たり前だったことに衝撃を受け、それができないとは、人として半人前なのではないかとすら思えてきました。身の回りの草から布を作れる人になりたいと、私の暗中模索が始まったのです。
このWSはその暗中模索から生まれました。一度失ってしまったら取り戻せない、貴重で豊富な庶民の知恵や技術を知るにつれ、それを次ぎの世代にも伝えたいと思ったのです。

何千年もの間培われてきた衣を作る技術を、私たちはいとも簡単に捨て去ってしまいましたが、本当にそれで良いのでしょうか?
社会のなかでしか生きられない私たち、動物としてあまりにひ弱な存在に成り果てたわたしたち。でももし、森から布を作れたら・・・?
自然の中で自立できる実力者であれば、もっと自由に生きられるのではないか。知恵や技術を少しずつでも身につけることで、私たちも社会との係わりや考え方が変わってくるかもしれません。
これは私たちが、自然の中で布を作れることを確認するフィールドワークです。